14(18禁)

 落ちてきた白猫のかんばせは、美猫のそれだった。いや、猫そのものな頭部だから当然なのだが、さておいて。
 降りてくるオッドアイをは惚けるように見つめていたが、何の前触れもなくザリッと唇が舐められた。
 痛みはない、ザリザリして、不思議な感触だと思うだけだ。
 けれど、目を丸くし薄く開いたの口の中に、その舌がにゅるりと侵入してきたともなれば。

「~~~~~ッ!!??」

 未知の感触が口の中で這い、跳びはねて驚くしかない。
 反射的に、ルシフの背に添えた両の手が強張り、衣服をきつく握りしめる。猫の舌は直ぐにの口内から離れていったけれど、ルシフはうっそりと微笑む声で「甘い」と呟くから、頭が弾け飛ぶかと思った。ただの唾が甘いわけない、いやそうではなくて。
 今、一体、己が身に何が起きたのか。
 は文字通りに仰天して、何度も瞬きを繰り返す。

「……これでも結構、頑張って我慢してたんだよな」

 妙に艶を秘めた低音が、頭の天辺へ落ちてくる。ぺろりと口の周りを舐め取る仕草が、腹を空かせた猛獣のように見えたのはきっと気のせいでない。

「が、我慢……?」
「どうせあんたはのんきに過ごしてただろうけど、この一ヶ月近く、俺が平気で居たと思うか」

 様々な衝撃から抜けきれない今のでは、言葉の意味が分からない。直ぐに首を傾げる仕草をしたので、ルシフは溜め息を吐き出す。自分のものであるのに、喉が焼けたような錯覚。隠しきれなくなりつつある劣情が、其処から漏れ出した気がした。

「もっと別の言い方をすれば――――自分の住処に四六時中、ずっと探していた雌が触れる距離にあって、どれだけ手を出すの我慢していたか、知ってるか」

 途端、は息を弾ませ、身体を震わす。オッドアイから注ぐ熱っぽい眼差しの意味も、何故だか理解した気がした。咄嗟に退こうとしてしまったのは仕方のない事だ。けれど、の身体に回る猫の腕が、離れる事を許さない。目に見える強靱さや逞しさはないのに、ごときではそのしなやかな腕の中から、決して逃れられないだろう。
 よりきつくを抱きすくめると、ルシフはさらに続ける。ゆっくりと
隙間を塞いで壁際に閉じこめるように、その声がじわじわとの思考を溶かす。

「……俺に、獣人に、こうされるのは嫌い?」

 下りてきた白猫が、至近距離で覗き込む。滑らかな人の額と、柔らかい毛の覆う額が、こつりと重なる。不思議なくすぐったさが、其処から走った。

「あ、う……ッ」

 息遣いが掠め、細いひげがつつく。少し影を落とした美猫の顔に、熱を帯びる感情が宿る。、と名を呼ぶ声には、欲求と懇願。
 全然、人間とは違う存在なのに。下手したら何を考えているかも分からないような種族なのに。どうして、こんな時には。
 吐息のその熱さが移ったかのように、の頬が赤く染まる。

「ねえ、。あんたに触りたい――――良いと、言ってくれ」

 懇願する猫の音が、切なげな声に混ざる。その意味を尋ねるのは野暮だろう、其処までも馬鹿ではない。
 あのルシフから、切々と訴えられた事もあるのか。人の理性と獣の本性を持つ種族、不安定に均衡を保つその危うさが、その全身から感じられる。そしてそれを、よりにもよって、へ向けている。望めばきっと、何でも得られるだろうに、何も持たぬへと。
 きゅう、と締め付けられた心臓から、熱が巡る。抱きすくめられ、ほとんど爪先立ちになっている足が、微かに震える。多分きっと、それは恐怖ではなく――――。

「だ、だから……ッその言い方、ずるい……」

 宙をさまよっていた両手を、改めて広い背中に添える。が衣服を握りしめると、微かにその背が震えた。

「……ずるくもなる。欲しいもの手に入れる為に、あの底辺から這い上がってきたんだ」

 此処で取りこぼすなんて真似、したくはない。
 告げたその言葉は、いつだったかルシフに言われたものと同じだった。あの時もそういう風に想って言ったのかと、は何となく思い出す。



 ほとんど吐息に近い掠れた声が呟く。触れても良いか、それとも。焦燥に駆られてきた彼の声が、の耳をなぞる。ふくらはぎを包む尻尾が、焦れて別の生き物のように動き回っている。
 細い肩が跳ね、背筋の震えが爪先にまで伝う。耐えるようにきゅっと細い眉を寄せ、息を吐き出す。
 この震えは、恐怖ではないのだ。恐怖では、ないけれど。
 その声に応じるまで、多大な時間と覚悟を要した。名を告げるルシフの声が泣きそうになる頃、ようやくは頭を動かす。
 横ではなく、縦に。つまり、首肯。
 も泣きそうな顔をしていたが、正面に立つルシフは――――頭が真っ白になっていた。

 今、頷いたか。この子は。

 一瞬驚いて、けれど次いで込み上げてくるのは、歓喜。思考が熱を増し、背筋が震えるほどに、白猫の心が実に獣らしく打ち震えた。

 其処からのルシフの行動は、彼本人も自覚する以上に速かった。抱きすくめたの身体を持ち上げ、直ぐ背後の――正確には自然と隅に追いやられた――ベッドへすたすたと進み、ぽんっと置いた。獣人という種族は、多くは人間よりも頑強で、背丈もある。ルシフも長身の部類に属し使うベッドも相応の幅になるので、標準的な身長のが其処に座ると、やけに彼女が小さく映る。あるいは、ベッドが大きく見えるのか。何であれはっきりとしているのは、己が使う寝具の上に積年追いかけた存在がいるだけで、気が昂ぶるという事である。
 藍色のベッドカバーの上で、は縮こまって座る。お尻の下は柔らかいけれど、この落ち着かないそわそわした感覚は、それによるものではない。
 すぐさま、ルシフの片膝がベッドカバーに沈む。音も無くベッドに乗り上げ、座るの前へと近付く。

「ル、ルシ、ルシフ」

 ベッドカバーがたわむ振動が、の横座りになった足にも伝わる。ごく自然に近付いた白猫の細身が、正面から、へ擦り寄った。犬とは違う、細やかで滑らかな毛質が、顔と首筋に触れた。
 はそこで両手を突き出し、ルシフの胸を押した。

「や、あの、ルシフ、ちょっと待とう」
「何が」
「な、何って、ちょっと展開が、は、早すぎるような」

 半ば無意識に、距離を取るように背を反らす。だが、ルシフの腕がさっと回り込み、倒れかけた背が戻される。
 さっき良いって言っただろ、と告げる声は不満げだ。そうだけど、でも、何も今すぐにとは言っていない。脇目も振らぬ行動の速さにが唸ると、ルシフからも獣の唸り声が返ってくる。まるで威嚇し合うようである。
 広いベッドの上の真ん中、向かい合って座る形になりながら、は困惑に視線を揺らす。静かな部屋を照らす光は、まだ太陽の明るさを物語っている。

「一ヶ月だ」

 ルシフはそう呟いて、生殺しのような一ヶ月だったと、後に続けた。は小さく呻き、細い肩を狭める。

「むしろ一ヶ月も何もせずのんびり過ごして、紳士的だと思わないか」
「う、そ、そうなの……?」
「普通そうだろう。欲しかった雌が隣に居ながら、自分の手で慰めるってどういう……」

 ルシフは最後まで言わず、大きく咳払いをして曖昧に誤魔化した。

「ともかく、獣人が此処まで待ってやったんだ。そろそろ俺だって……辛いものがある」

 伏せがちになるの頬を、白猫の頭が擦る。優しいけれど、その先への焦燥が感じられる仕草。そろりと窺えば、細められたオッドアイとぶつかった。真っ直ぐと見据える獣の瞳に、隠せない熱が浮かんでいたのが分かる。

 人と獣、双方の姿と性質を掛け合わせた種族である、獣人。人と同じように言葉を扱い、文化を築き、身体の造形もほぼ同じと言える。が、その身に流れる血と思考は、獣の本能が色濃いだろう。人とはやはり違うという事が、或いは己が獣人ではないという事が、は目の前の白猫を見ながらふと思った。

 、と名を呟きながら、ルシフは身を寄せる。すり寄るように、匂いを移すように。
 恐らくきっと、獣人は人間のような回りくどさが無いのだ。想いを告げて恋人になって、一緒に過ごして想いを深めて、ゆっくりと添い遂げて。子どもじみているかもしれないけれど、が思い浮かべたそういった階段を踏む文化が、獣人――ルシフには無いのだ。狙った獲物を確実にしとめ、奪われないよう素早く懐へ。野で生きる捕食者のような、隙の無さと狡猾さ。雰囲気を甘く仕立てるつもりもない全力の体当たりは、いささか情緒がないが、しかし。
 そういう風に、よそ見もせずに真っ直ぐと向けられるのは、嬉しくないはずがない。気恥ずかしくて、くすぐったいけれど。
 時折、の視界の片隅で、揺れているのが窺える尻尾は落ち着きがない。緊張すると同じように、この白猫もそうだろうか。そう思ったら少しだけ、の強ばった赤い頬も緩んだ。

「……痛くしない? こないだみたいに」
「…………あれは、数に入れないで欲しい」

 途端、ルシフの声に苦々しさが含まれ、眼差しの熱が一瞬引く。
 けれど。

「……ち、ちゃんと、出来るかな……」

 呟いたの声に、垂れ下がった三角の白い耳がピンッと張りを戻す。驚いたように息を詰めた音が、確かにルシフの口からに聞こえた。

「私は、人間で、ルシフは、獣人だもの」

 、それは。
 ルシフがぱっと顔を離すと、目の前に困ったように、或いは恥ずかしそうにはにかむのかんばせが広がった。頼りなく震える唇が見えているくせに、直ぐにでも噛みつきたいなどど、浅ましいにもほどがある。必死に抑え、ルシフは呟く。

「……頑張る。その、あの時みたいに、怯えさせないよう」

 は、ぎこちなくだが、小さく笑みを返す。

「……うん。じゃあ、私も、頑張る」

 は頭を傾け、こつりとルシフの額に寄りかかる。クルル、と微かな喉の音が正面から聞こえた。
 伸びてきた白猫の指先が、首筋をなぞり肩を撫で、衣服をぎこちなく掴んだ。一瞬身構えたであるが、仰け反るほどの後退はせず、ルシフの指を受け止めた。
 大丈夫、きっと怖くはない。最初から彼に、恐ろしい目に遭わされた事などないのだから、きっと。




 ルシフの手は、服を破く事無く、の身体から抜き取っていった。薄皮を一枚一枚、丁寧に剥がしてゆくような、もどかしさで。
 人の手に脱がされるのは恥ずかしいから、いっそ自分で全部脱ごうかとは言ったのだけれど、どうもそれはルシフの中で許されないものらしい。「駄目」と一蹴し、身じろぐを余所に、現在である。

 いや、ちょっと、何か、もう既に。

「うゥ……ッやっぱり自分で脱ぐ……!」

 逃げるように腰を上げたが、それを直ぐ様ルシフの手が引き寄せる。

「絶対に駄目。ほら、動かない」

 の耳元で、ルシフの声が囁かれる。涼しげな低音に含まれる、掠れた微笑と、吐息に混ざる熱っぽさ。ぞぞ、と首筋が震える。
 白い手のひらが、肌を撫でつけるように。身体の輪郭をなぞるように。衣服を剥がすその仕草全てが、さわさわとくすぐったい。
 が身じろぎしまくっていたら、いつの間にか体勢が変わり、向かい合って座っていたのが背を預け抱えられる格好になっている。外見こそは細身であるけれど、見た目では分からない男性的な広さと厚みのあるルシフの胸が、の肩に押しつけられる。後ろから伸びる二本の腕は相変わらず、ほっそりとしているくせに妙に頑丈だ。

 上半身から衣服が脱がされ、下着までも外されてゆく。緊張で震える胸が、露わになった。既に羞恥心で死にそうになっているを、ルシフはそのまま藍色のベッドに転がすと、今度はスカートに指をかけた。危うくルシフの身体を蹴り上げそうになったけれど、恐らく蹴り上げたところで彼には大した障害にはならないだろう。自分の手で脱がす作業も、止めてはくれない事も窺える。
 一枚一枚剥がす先で現れる、毛皮を持たぬの白い肌。それを見下ろすオッドアイには、その身に流す獣性を強く感じさせる、虚ろな熱を宿していた。
 外見こそは優雅な白猫であるけれど、やはり獣人、獣なのだと、滑らかな手だけでなく視線でも染まる肌を撫でられ、は思った。

 スカートと下着が一緒になって抜き取られ(下着くらい残してくれても良かったんじゃないかな!?)、早々に裸にされたは、ベッドの上で小さく縮こまる。何とか見られる部分を少なくさせようと丸まってゆくの悪足掻きは、伸びてきた白い手であっさりと退けられる。
 やんわりと、けれど力強く、の手首を捕らえた手のひらは、そのままベッドに押しつけた。横向きになっていた上半身が、くるりと仰向けに直され、声を漏らす間もなく乗り上げた白猫の眼下に晒される。天井を背にし真上から覗き込む顔が、目が、の裸体を見つめる。それこそ余すこと無く、頭の天辺から爪の先まで、全て納めるように。

 陽の光は未だ明るく、天井と床を照らしている。外からも日中特有の賑やかさを感じられるので、部屋の中の熱を帯びた沈黙が生々しい存在感を持ち始める。

 ぎゅ、とは細い眉をしかめ、肌を焼くような視線に震える。じわりと汗が滲んだのは、きっと気のせいではないだろう。
 その時、の頭上で息が吐き出された。渇きを訴えるような、熱い余韻が耳に届く。

「……ああ、綺麗」

 普段の涼やかな声は、何処へ消えたものだろうか。落ちてくる声は陶然とし、甘く響いた。

「それに」

 白猫の顔が下りてくる。覆い被さるように下がってきた身体が、へと折り重なる。
 流れた金髪をより分けて、猫の鼻先がうなじに押し込まれた。細いひげと、空気を吸い込む振動が、そわそわとの首回りをくすぐった。思わず声を漏らして小さく跳ねると、笑うような息遣いがルシフよりこぼれる。

「……凄く、良い匂い」

 思わず、ビクンッと跳ねる身体。カッと、の頬がさらに朱で塗り重ねられる。
 匂い、だと。匂いって、何。
 顔を傾けルシフを見ようとする、が、その時耳の裏をザラリと舐め上げた生温い感触に、問いかける事は叶わなかった。ザリザリとしたそれは、ルシフの舌だろう。耳の裏、首筋、首の後ろと、何度も往復し丹念に舐めてゆく動きに、は目の前の胸に縋った。見た目よりもずっと広い、彼の胸。服をきつく握りしめて引っ張る。

「あ、あ、それ、それ止めて……ッくすぐった……ッ」

 視界の片隅で動く白猫の頭が、僅かに離れる。けれど、止めてくれるわけでもなく、代わりにの耳を食んだ。柔らかい口にはぷっと啄まれ、耳の中に熱い息が吹き込まれる。言葉にならない上擦った悲鳴が、より上がった。

「前から、思ってはいたけど。邪魔な服全部取ったらこれって……はあ、凄いな」

 丁寧に耳の縁を舌先で舐めた後、ルシフが顔を離す。胸を跳ねさせ、はようやく彼を見上げた。凄いって何が。というか匂いって何の話だろうか。若干錯乱しながら問いかけたへ、ルシフは小さく笑って答える。
 曰く、獣人の本能と。

「恋人や伴侶に選んだ雌の匂いは、雄にとってどれも欲求を煽るものだと言われてる」

 喉が渇くような、空腹を訴えるような、例え難い甘美な匂い。

「側にいるだけで組み伏せたくなる匂い。どんなもんなのかと思ってはいたけど……はは、これは、確かに」

 直に嗅いだらまるで媚薬みたいだなと、を見下ろすルシフは、熱を深めた声で呟いた。
 自分の匂いなど全く知る由もないにとって、その抽象的な言葉の真意を理解は出来ない。けれど、目の前でそんな事を語られたら、恥ずかしくもなるというものだ。止めてよ、と思わず言ったが、ルシフは意地悪く微笑を浮かべると、再び顔を肩口に埋めて空気を吸う。深く深く、脳にまでその香りとやらを取り入れるように。息遣いが、どんどん熱を帯びてゆく。

「……その匂いって、性行為中に一番香ると言われてるらしい。ねえ、

 今もこれだけ良い匂いなのに、どうなるのかなと。とんでもない事をさらりと言われ、の瞳が見開かれる。けれど、きっとそれ以上に驚いたのは、覗き込む優雅な白猫が今はっきりと獣欲を見せている事である。
 を至近距離で見つめ熱く射抜く、青色と黄色の二色を宿す双眸。肌の上を滑る指先は、先への期待。人の理性から獣の本能へと傾いた、喉の音の深さ。
 何故だか、くらりと、は目眩がした。
 普段はあんなに、涼しげで、何人にもその静かさを崩される事のないような悠々とした白猫なのに。いつか見た薄汚い少年でも見せる事のな無かった、獣であるがゆえの剥き出しの鋭さが窺える。人間とは違う存在だと知らしめているのに、そうやって一心に向けられるのは。



 震えるの足に、巻き付く感触。正体が直ぐに分かるほどに慣れてしまった、けれど温かさが今もくすぐったい、長い優美な尻尾。

「触りたい、全部。ねえ、

 きゅう、とは真っ赤になって小さく縮こまる。藍色のベッドカバーに広がった金髪が、身じろぎに合わせ震えた。

 何も纏わない裸体の全身から、雄の獣性を高ぶらせる香りを放つ存在を、ルシフは恍惚として見下ろす。らしくもない事は知っている、むしろそうさせる己の下の存在とはどれほどのものだろうなのかとも。
 緊張に震え、上下する身体へ、ルシフの手が触れる。衣服越しではなく、手のひらの肉球で直に感じたその柔さ温かさに、ルシフは歓喜を感じずにはいられなかった。あの時――服を剥いて激情のままに触れた――とは違う。真っ赤になって、恥ずかしいのに必死に我慢して、けれど触れた雄の手を拒まないで甘受している。
 犬のように無様に、喉が鳴って、息が漏れた。
 最近だけでない、かれこれ長い事、この光景を夢想してきた。己の下に番を組み敷く、この光景を。
 けれど結局、夢想は夢想でしかなく、本物の現実はもっと生々しく、凶悪であったけれど。

 何も身につけないの素の身体は、植物のようだった。雨風に晒されながら凛と天に上向くしなやかさ。怠ける事なく、必死に生きてきたのだと分かる、身体つきをしている。この一ヶ月、何やかんや働き者だった彼女を見てきたのは、他ならぬルシフであるのだから。けれど、ほっそりとした身体は、女性らしい柔らかい輪郭をきちんと持っているようだ。男が得る事のないなだらかな曲線や柔らかさは、背中や腰回りなど随所を魅力的に彩り、火照る肌の意外な柔さは言葉にし難い。
 それと。
 目映いほどに輝いている、広がった蜂蜜色の金髪。丁度場所が、藍色の布地のせいでもあるのだろうか。香り立つしなやかな四肢と蜂蜜色の髪が、景色で一際存在を放っていた。

 その美しさは、前から知っている。あの市場で再会した時、もう一度見初めて、欲望に焦がれた時もそうだったから。



 商会の馬を借り、寄り道もせず到着した、市場の催される西洋館。
 薄暗さを抱く広い会場の中で浮かび上がった、仰々しく照らされるステージ。光が強いだけの下品極まりないきつい照明の中央へ、待ち焦がれた少女が現れた時、どれほどルシフが欲望を抑えていた事か。引き出された頼りないその佇まいを、ルシフは劇の小道具のように陳腐な仮面の向こうで、唾を飲み見入っていた。

 幾久しく出会った少女は、もうあの頃の幼い少女ではなかった。照らし出された白い四肢は伸びやかで、しなやかな細さを有していた。成熟する美貌に至る途中の、微かな危うげな魅力が、その柔らかい曲線を描く肉体から確かに放たれていた。そして、野良猫の瞳を奪ったあの蜂蜜色の金髪は――――こんな場所でありながら、記憶よりもずっと輝いているように見えた。

 あの頃から、月日は経過していた。幼く小さかった子どもがどう成長したかなど、想像のしようがなかった。けれど、初めて作ったというハンカチーフをみっともなく持ち続け、何度も苛まれながら覚えた少女の香りがステージから漂っている。ああ間違いなく彼女だと、激しく歓喜した。
 同時に、薄いワンピース一つだけを身につけその下の輪郭を薄く透かす彼女に、ようやく飲み下した飢餓と焦燥を再び吐き出す羽目になった。

 気丈に振る舞いながらも、不安を隠せない彼女に抱くべきではないのに。
 仮面の向こうで、ルシフは現在の彼女の姿に、間違いなく劣情を感じていた。それこそ獣人という種族らしく、噛みついて痕を刻み、後ろから貫き抱いてやりたいと。



 涼しげな面持ちの下に隠す事が異常に上手くなって、周囲にその本心を気取られる事は少なかった。だが開けてみれば、ルシフ本人も時折疑問に思うほどの、情けない劣情と執着心が詰まっている。他人を許容する領域が極端に狭いがゆえの、副産物だろうか。
 そういう風にさせる、させてきた唯一の存在が、今、己の下にある。

「……誰にも取られなくて、良かった」

 低く呟いたルシフの手は、の無防備な腹を撫でた。円を描く獣の指先は肌を軽く押し、なぞるように胸の間へ伸びる。三日月のような鋭い爪は出ていないが、何処から食べてやろうかと選ばれているような錯覚がし、の肌が粟立つ。

「市場で、あんたを買おうとしたあの獣人にも、誰にも、あんたに触ってなくて良かった」

 裸のを覆うように、横から身を乗り出し被さった身体が、さらに降りる。柔らかく上向いた二つの胸がルシフの胸で潰され、手首がベッドに縫いつけられる。
 振り払えない、男の、獣の力強さが手首を包む。けれど痛みもなく、恐怖もなく、ただとても温かい。
 獣人は早熟する種族らしいので、彼の年齢である二十一歳とは、きっと人間の感覚で計ってはならない年齢なのだろう。そして彼はきっと他よりも大人びていて、そつなく物事をこなし渡り歩く度胸も据わっている。まして、獣人だ。人間の女なんて、腕一本でねじ伏せる事なんて訳ないはずである。
 なのに。
 触れたいと懇願し、誰にも奪われずに良かったと執着し。そう思いながらも力任せにしないのは、彼の不器用な優しさだろう。

 は、投げ出した両足と両手をもぞりと動かす。自由の利く片方の手を、そうっと持ち上げ、白猫の頭をぽんぽんと撫でる。ふかふかというより、すべすべと表現すべき手触り。の髪よりも指通りが良さそうな、真っ白な毛が手のひらを押す。

「あのね、ルシフ」

 私も。

「私も、ルシフ以外に触られなくて、取られなくて、良かったと思うよ」

 一瞬見開いたオッドアイが、の視線の先に広がった。気恥ずかしさと共に微笑を浮かべ、は頭を持ち上げる。

「ルシフだったから、私、今も……」

 決して悟られないよう隠した鋭い爪で撫でられたとしても。きっと、怖い事などない。
 はそんな想いを込めながら、白猫の喉元に額を押しつけ、ゆるりと擦らせる。

 覆い被さった白猫の身体が、ぶるぶると震え始めたのは、その時だった。

「……ッあんたは」
「な、なに……? 変な事は、言ってないよ……?」

 本当だよ、とが念を押せば、いよいよ白猫の面持ちはぐっと何かを耐えるように歪む。獣欲を湛えたオッドアイが、視線をさまよわせ泳いだ。

「ッこの、人が穏便に進めようと我慢してる時に……いつもいつも」
「え……?」
「何でもないッ」

 そう悪態をつくと、ルシフは唐突に身体を離して起きあがる。視線で追いかけたの隣で、ルシフは自らの衣服を掴むと引き剥がすように脱ぎ捨てた。
 目の前で露わになる、彼の上半身。
 一瞬、わあっと驚いたであるけれど、かといってそれだけだった。彼は服を着ていなくても毛皮という自前の防御があるので、羞恥心の度合いに関してはさして変わらない事に気付く。
 確実に、の方ばかりが恥ずかしい。
 むうっと唸ったであるけれど、ただ、見上げた白猫の身体はとても綺麗だと思った。しなやかで優雅な猫そのもの、喉と胸は三割ほどふっくらとした毛を蓄えている。が、女とは異なる肉体の輪郭は細身であるが男性的で、ああ異性だなあと思う。そしてそれが隣に並んで横たわった時、ドキリとした。衣服を取っ払い肩へと直に触れた胸は、やっぱり意外にもがっしりとしていた。
 は何となく腕を持ち上げ、隣の白猫へと伸ばす。そうっと訪れる細い指先を、ルシフは払い退けたりせず受け入れた。の指先は、しなやかなひげの向こうの、人間とは違う猫の顔に触れた。滑らすようになぞると、その手のひらへと白猫がすり寄る。ゴロゴロ、ゴロゴロ。喉も鳴らすその様は、大きな猫そのもの。可愛い、とは頬を緩めた。

 ――――ざらり

 不意に掠めたのは、生温かい舌先。肉感の薄い、面積の小さな猫の舌だ。あっとが思った時には、はぷりと軽く食まれていた。

「……、良い?」

 甘噛みした後、ルシフは呟く。蕩けたオッドアイを再び覆う、獣欲の兆し。舌先からも伝わる熱は、掠れた声にも含まれている。じん、と疼いたのはきっと指先だけでは無かった。
 横から伸びてきた白い手を、は拒まずに受け入れる。怖くはないけれど、どうしても身構えてしまい、喉と胸を覆うふかふかした白い毛をたぐり寄せ握った。わりと思い切り握ってしまった気がしたのだけれど、ルシフは文句一つ言わずにの好きなようにさせていた。こういうところが、時々見せる年上らしさだろうか。そしてそれは、他人から愛撫のされた事のないが全身を慈しまれ、驚いて縋りきつくしがみついても、変わらなかった。
 むしろ、ルシフの一挙一動に過敏な反応を見せ、困惑と混乱で身体を染め咽ぶように声を漏らすを。彼は嬉しそうに楽しそうに見下ろしていた。

(……たまんないな)

 ルシフの陶然とする心が、溶けて崩れゆく。
 が縋るほどに、真っ赤になるほどに、さらに香り立つ肌の匂い。獣人が持つ色濃い獣の本性が、引きずり出される感覚というのはこれを指すのだろう。

 手のひらの肉球に吸い付く、汗ばんで上気した肌も。
 丁度よく納まる柔らかい胸も、ほっそりした手足も。
 声と吐息を弾ませる白い喉も、涙の滲む瞳も、蜂蜜色の髪も。

(ああ、本当、たまんない)

 移した獣の熱と匂いを纏って、頼りなく四肢を震わす小さな存在に抱く、込み上げる獣の愉悦が抑えきれない。外面だけは綺麗な白い毛皮の下で、浅黒く渦巻く欲望が情緒無く下半身に溜まってゆく。

 けれど。

 同じ轍(てつ)を踏まないようにと、その理性だけは、必死に残していた。



 震えた睫毛の向こうで、濡れた瞳が見上げる。滲むまなじりを舌先で舐め上げると、ほっそりとした手が首に縋った。その匂いと弱々しさに、ルシフの背筋がぞくぞくと戦慄いて、思わず唸り声が漏れる。
 一片の理性も、何処かへ消えるのは時間の問題のような気もする。

 ルシフの手のひらに納めた胸へ、指を埋める。雄が持つ事のないその柔らかさは、あまりにも魅惑的だった。色づいた頂を引っかくように嬲ると、の背が震え上がる。

「ああ、これが良い……?」

 良い匂いがまた濃くなった。愉悦を含んだ声が、へ降り注ぐ。
 自分の意志など構わず、暴かれてゆくような感覚。その未知の感覚が不快でないのが実際事実である事が、なおさらに恥ずかしくなる。

「ひ、や……ッ」

 揉み込まれる動きに、は息を噛む。彼の大きな手のひらには少し小振りな胸を、丁寧に慈しまれ、時折悪戯に引っ張られる。たまらず声を弾ませると、ルシフが隣で笑みをこぼす。小馬鹿にするようなそれではなく、の反応を純粋に喜ぶ雄の微笑だ。
 逃げないでと告げる掠れた声に導かれ、ふと見上げた白猫は、繊細な外見にはおよそ不釣り合いな熱を焦がす欲望を湛えていた。それだけで何故か、粟立つ肌がさらに震えた。

 ルシフは胸を愛撫した手を離すと、おもむろに身体を起こしずり下がっていった。乱した呼吸を整えながら、はその動向をぼんやりと見ていたけれど、ギョッと目を剥く羽目になる。ゆるりと座り直した場所がの右隣であるのは変わらないが、伸びた白い右腕が向かった先は――――足だった。
 膝の裏へ、片腕がねじ込まれる。クッションよりも上等なすべすべした毛皮が、膝裏にやって来たと思ったら、それがぐいっと持ち上げられる。要するに、膝を抱えられた。

「ちょ……ひゃ?!」

 そうして今度は、お尻を支えるようにぴったりと、ルシフの片膝がねじ込まれる。
 ちょ、ちょ、ちょ。この体勢は。
 別の羞恥によって慌てるを余所に、ルシフはよっこいせとか言いながら、ねじ込んだ己の太股への足を乗せる。さながら、足を持ち上げてお尻を突き出すような。あらぬところを、彼の眼下に晒してしまっている。

「な、な、なに、なにこの格好」
「ん? こっちの方が楽だろうし」

 言いながら、ルシフの手は身構えてぴたりと閉じたの両足を、開きに掛かった。意味する事は、さすがに分かる。太股に埋まる指先に、反射的に抗ってはみたものの。


「う……ッ」

 普段の涼しさなど何処かへ消えてしまった、あの声で名を口にされると――――。

 白猫からの期待と懇願に勝てるはずもなく、は立てた自らの両膝を、怖々とほんの僅かに離してみる。その隙間を見逃さず、ルシフの白い手は肌を撫でつけながら侵入し、の太股を押し開いた。外気に触れて震える太股をじわじわと降りてゆく指先の動きに、は染まる頬を隠すように自らの手の甲を押しつけた。

 ひたり、と。
 両足の間、秘めた場所に指先が触れたのは直後だった。

 自分の指ではなく、他人の指が、そんなところ。出掛かった悲鳴を、は何とか留めたけれど。

 頭上で視線の動く気配がして。ああ、と感嘆をこぼすように、熱い溜め息が落ちてきて。

「――――濡れてる」

 悲鳴の代わりに、涙が滲んだ。
 自分の身体であるから分かるのに、そんな、暴き立てるように言わなくたって。
 恥ずかし紛れに両足をばたつかせ蹴ってやろうかと試みたが、実際は力なくパタパタと踵が浮いた程度で。其処に柔らかい尻尾が巻き付いてくると、が蹴り飛ばせるはずもない。
 ルシフの指は、固く緊張している秘所をなぞった。髪と同じ金色の下生えをくすぐって、花弁をめくるように震えた柔い肉の向こうへ進む。緩やかに暴かれ、ぬかるんだ水がこぼれる感覚がした。はたまらず声を漏らし、身を捩った。

「や、う……ッルシフ……ッ!」

 縋るように名を呼ぶと、の前へ白猫の顔が降りてきた。ふっふっと、息を荒げて熱く吹きかける仕草は、感情を生々しく剥き出し、本当に野良猫のようだった。焼け焦げそうなオッドアイには、思ったよりも理性らしいものがなく、其処に映るへ一心に欲望を向けている。
 人とは異なる種族ゆえの、人よりもずっと獣じみた興奮を表す様は、一抹の不安を感じさせたけれど。
 それでもに触れる手は、舌は、決して傷をつけない。其処に擁しているのは、人間の女ごとき容易く引き裂ける爪や牙であるのに。


 ――――あの時みたいに、怯えさせないよう


 恐らくルシフは、ものすごい器用に見えて、ものすごい不器用だ。不器用ゆえに、言葉ではなく行動の方でたびたび語るのだろう。あの言葉を守ろうとしてくれている事を、熱くぼやける思考でうっすらと知った。
 そしてそれに頷いたのは、他ならぬである。
 大丈夫、大丈夫と、自らにも言い聞かせながら、ふっくらとした毛を蓄える首に両腕を回す。

 ルシフの指先が、滴るほどの蜜でぬかるむ秘所の入り口を潜って内側に入ってきたのは、その時だった。

 は、か細く声を漏らして身を強ばらせ、ぎゅっと白猫の体躯にしがみつく。ルシフから返ってくるのは言葉ではなく、熱を含んだ吐息だった。けれど、誰も触れた事のない狭い秘所を解す指先は。涙の滲むまなじりを舐め、首筋を食み、固く尖った胸の頂を含み転がす舌は。獣の本性を抑え込み、行為に戸惑うを優しく宥めていった。
 例えば、派手に転んだ少女を仕方なさそうに背負ってくれた、あの薄汚い少年のように。

 知識として、世間ではこの行為を《気持ちが良いもの》とされているらしいと覚えているが、とんと縁遠かった初心者のにとっては柔軟に受け入れられるものではない。ただ恥ずかしくてくすぐったくて、弄ばれる身体から沸き起こる不可思議な熱が何なのか、その一つも上手く飲み込めないでいるくらいだ。
 けれど、大切な異性にそうやって全身を触れられる事に、決して嫌悪は感じない。それが、人間ではなく、獣性を色濃く受け継ぐ獣人――異種族のものであっても。

 狭い内壁を解す白猫の中指に、こぼれた蜜がしとどに絡まる。ぎこちなく、けれど間違いなく女の動きで収縮する内側にルシフは唸り声を口の中で響かせていた。そして、外にあった親指を、めくれて露わになった花弁の中の突起へ押しつけ嬲り。

「ッ?! あ、あァ……ッ!」

 ほんの一瞬。
 ぎこちなくだが、高ぶったの思考が、白く塗り潰された。

 爪先まで走ったその痺れが快楽と呼ぶものだと、にはまだ分からない。
 驚いて、目の前のルシフの胸へきつくしがみつく。大きく戦慄き、背と喉を反らしたの身体を、白猫の腕が抱きすくめていた。


 ぐしゃぐしゃにしわの寄った藍色のベッドカバーの上で色を広げる、ほんのりと染まる白い肌と蜂蜜色の金髪。匂い立つ女の色香を惜しげもなく放ってしどけなく横たわるのその姿を眼下にし、ルシフは溜まった唾を飲み込む。
 恐らく達したのだろう、指を締め付け蜜をしとどに溢れさせた感触は、あまりにも甘く、目眩がする。くらりとする生易しさではなく、もっと暴力的な類のものだ。ああ、これが指ではなく、自身であったならば、と。
 思わず想像して、下半身に集中する欲望が増した。
 震えている狭い秘所から、ルシフは指をそっと抜き取る。獣人とさして変わらない造りをしている其処から視線を外せず、惚けるように見つめたまま、のろりと動き出した。下ろしたの両足を今一度抱え、やんわりと開かせると、ズボンをくつろげ下穿きと共に引き下げる。
 実は結構最初の段階から窮屈で、体積が増すたびに欲望が疼いていた。ようやく楽になり、安堵に似た溜め息がこぼれる。

「……

 溶けた目が、ルシフを捉える。それだけで堪えている欲が震え上がり、これ以上は必要ないだろうに下半身の疼きがさらに切実なものになる。ぐう、と呻きながら耐え、赤く染まるの腰を引き寄せる。膝をつき直すと、獣人仕様のベッドが微かに軋んだ。

、平気か」

 ルシフに尋ねられ、は首をもたげる。一瞬何の事かとも思ったけれど、ふと自身を見下ろして、言葉の意味を察する。力なく開かれた両足の間に、割って入っているしなやかな白い体躯。それと、くつろげたズボンから露わに出された、ルシフの――――。

「あ……ッ」

 気恥ずかしさと僅かな恐れが、白く掠れていた思考を呼び戻す。
 硬く隆起した男性器が、へと向いている。人間と獣人で違うところがあるのか等、其処まで考える余裕もなく、勿論まじまじと近くで見た事などない。ただ、先端が尖り、竿の部分が脈打ち震える様は、優雅な白猫の外見に反して非常に生々しいと思えた。
 びくりと震えたへ、ルシフの身体が折り重なる。距離が詰まり、濡れそぼった秘所に欲望を訴えるルシフのそれが押しつけられる。浅く入り口を小突いて、けれどその手前で留まっての眉間や頬、唇を舐める舌は何処か、許しを得るのを待つようだった。

「ッ……」

 はあ、と吐き出す吐息に、色気のだだ漏れな掠れた呻きが混じる。顔は猫のそれであるから人間のような明確な表情の変化はない、けれどその分だけ、目つきや声が、もう。やたらと凄艶な空気を放つ白猫に、心臓が大きく跳ねる。
 トン、トン、と規則的に秘所を小突かれるたびに跳ねていたが、は彼を見上げて――――ゆっくりと、ごく小さく頷いた。

 ルシフは即座に、一方の手での括れた腰を掴み、もう一方の手で欲望に脈打つ剛直の位置を正す。小突いていた先端が先ほどよりもしっかりと押しつけられ、があっと声を漏らした時。

 ――――ぬるりと、の内側へと進んだ。

 途端に、程良く弛緩した四肢が強ばり、背が仰け反る。熱い塊が内側を押し広げ進むたびに、痛みが痛みで塗り潰されてゆく。何度も息を吐き出し、奥歯を噛みしめたり藍色の布地を握りしめたりとするが、痛みの逃げ場所が見あたらず、はぎゅっと表情を苦悶に歪める。

 ようやく、侵入した剛直が止まった事で、痛みはほんの僅かばかり落ち着いたけれど。
 のまなじりからはついに、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。

「……ッは……

 痛みに呻くへ折り重なったルシフは、苦悶する顔の前へ近づいて、強ばって震える唇を一舐めする。

「……痛いって言ったって、怒りはしない」
「だ、だって……ッう、うゥゥ……」
「あんたは本当、我慢強いというか、そういうの絶対言わないよな……」

 其処は言うべきだろうに、ほら。ルシフの手がおもむろにの顔の横へ伸びる。藍色の布地を握りしめる細いの手を、代わりにその手で包んで握った。
 ……温かい。すべすべふかふかして、気持ちいい。
 痛みに埋め尽くされた感覚に、一片のゆとりが生まれる。絡まった白い指をぎこちなく握り返して、は幾らか落ち着いた息を吐き出す。ルシフはその間動かず、の身体のあちこちを撫でさすっていた。無造作な仕草だけれど、温かくなって心地よい。
 落ち着いてきてようやく見上げたは、白猫の顔も苦しげに歪んでいる事にその時気付いた。

「……ルシフも、何か、つらそう、だよ」
「……今つらいのは、あんたの方だろ」

 小さく笑ったけれど、時折、ルシフは息を噛んでいる。広い肩も、心なしか跳ねているようにも見える。それはそうなんだけど、とが弱々しく返すと。

「想像以上に、あんたの中が温かい……」

 低い呟きと共に、掠れた愉悦がこぼれる。冷えかかったの身体が、どきりと熱を灯した。

「動いたら、気持ち良いんだろうなって、分かるから余計に」
「あ、う……ッ」
「は……ッまだ、死ぬ気で我慢するから、安心しろ」

 ルシフは頭上で笑ったけれど、今にも何かが焼け千切れてしまいそうな焦燥めいた声と面持ちはさすがに隠せていない。

「……あったかい?」
「ああ」
「うごき、たい?」
「ああ……って、おい。これは、何の尋問だ」

 疼いて仕方ない下半身を抑えているところに、苦悶の声の問いかけ。理性らしいものはほんの僅かしか残っていないが、耐えてやろうとする気概くらいはあるつもりだ。
 なのに、ときたら。
 ドクドクと、心臓と、彼女の中に埋めた杭が、疼き出す。意識すると、思考までも獣欲に傾いて呑まれゆこうとする。まずいと、ルシフは意識を別のところへ向けようとした。

「……良いよ」

 が、小さな呟きに、ルシフは上下する肩を一瞬止める。
 何処か呆然として見下ろした白猫のオッドアイを、は見上げて笑った。きっとぎこちない歪んだ微笑だろうと、も自覚する。

「私、ルシフに……良くして貰ったし、平気だよ」

 相変わらず鈍痛は引かないし、穿たれた熱の塊の存在は違和感しか与えないし、これまでの働き先で出会った下働きの、ませた女の子達の言う「気持ちがいい」とやらは明確に分からないけれど、でも。
 普段の涼しさをかなぐり捨てて求める白猫の、直球過ぎる愛情や熱っぽさは、これまで無かったほどに、温かくさせる。心の奥の、大切なところを。

 は響く鈍痛を耐え、開かれた足を弱々しく白猫の腰に巻く。引き寄せるように身じろぐと、意外とがっしりとしたルシフの体躯がぶるりと震えた。噛み締めた吐息が、ふっふっと、感覚を浅くしてゆく。

「……私、頑張れるから。ルシフ」

 応えたい、あげたいと願うくらいは、許されると思う。

 が微笑むと、ふとルシフの身体が倒れ、へと被さった。視界に一杯に広った真っ白な毛皮が、の胸に重なる。白く滑らかな獣の腕が、の腰と背中に回って包み込む。

「だから、あんたは交渉の仕方がなってないんだよ」

 それ、もう煽ってんのと一緒だから。
 言葉こそは無愛想だが、それを紡ぐ声音は柔らかかった。ざらざらとした舌が、のまなじりを舐め、眉間を掠める。そうして互いの額と額を擦り合わせると、心地よくて目がとろりと細くなる。
 ――――と、ルシフのしなやかな腰が、緩やかにうねった。
 埋められたまま止まっていた剛直が、動き出す。穏やかに凪いでいた身体や空気が、再び熱を燻らせた。あっと声を弾ませたを、まるで逃がさないとばかりにルシフは抱き込む。

「遠慮なく、させて貰うけど……ッん、つらかったら言いな」

 は言葉を紡ぐ代わりに、頷いて白猫の背を抱き返す。さらさらと指通りの良い体毛の下、上下するしなやかな表皮にまで指を埋める。
 それを合図にし、ルシフは己の欲望を満たすべく緩やかに律動を始めた。
 と言っても、それはごく単調なもので、軽く揺すられるような感覚だった。下腹部を中心とする鈍痛もじわりじわりと染み出すように主張したが、耐えられないものではない。これくらいなら、とは安堵し、息を吐き出して白猫の毛皮に埋もれたであったけれど――――それが浅慮なものだったと思い知らされるのは、もう間もなくの事である。



「あッ! あッ!」

 啜り泣くようにこぼれたの声が、穿たれるたびにあられもなく弾む。その向こうで、低い呻き声が荒げた息遣いと共に吐き出され、へと降り注ぐ。
 寝室というよりは仕事場のようなルシフの部屋は、今や汗滲む艶めかしい空気が漂い動いていた。
 身体を寄せ合う緩やかな挿入は、壮絶に色っぽい声を出すルシフを特等席から眺めるくらいの余裕は微かながらにあった。だが、最初だけだった。もどかしさに急いたように、ルシフはのほっそりとした足を脇を抱え、ぎこちなく横たわった腰を持ち上げ、激しくを攻め立てるようになった。
 天秤の重心が突然別方向へ傾いて逆転したような変化だった。
 緩やかさは激しさへ、ぬるま湯の心地よさが激しい熱さへ。快楽を追いかける事に集中した猫にがっしりと抱えられたは、頭から爪先まで揺さぶられ、翻弄される羽目となった。変化に息をつく間もなく、ぶつけられる激しさに飲まれる困惑からか、声がこぼれたけれど恥じらいを感じる暇も無い。

 一見すると細身で、真っ白な優雅な猫なのに。
 普段は分からない、内包する獣のごとき彼の衝動は、一抹の不安を感じずにいられない。

 激しく音を鳴らす藍色のベッドに埋まりながら、息を吸い込む。
 私、大丈夫かな。
 鈍く響いた鈍痛は、熱によって上書きされている。
 ルシフの腕を掴むのだって、精一杯なのに。
 痛いのか、苦しいのか、それとも別の類のものなのか、の翻弄されるだけの身体は驚いて跳ねるだけだ。

 。熱く名を呟く声が、幾度も鼓膜を嬲る。時折、ルシフの指先は、互いを繋げ音を奏でる下腹部へと伸び、悪戯に膨れた花芯を撫ぜる。その時には色を変えるの声に、ルシフは恍惚として見下ろし息を吐き出した。
 無防備に跳ねるお腹と、頼りなく揺れる足を、ルシフは一度抱え直す。汗で上気し、吸いつくように滲んだの身体に全身を倒すと、昂っている心を際限もなくさらに煽る匂いがした。
 これでは本当に、四足で生きる獣と何ら変わらない。
 ルシフは嗤いながら、それでも抑えられない衝動をへぶつけた。

 全身を捕えるように、の身体はきつく抱きすくめられる。折り重なった胸と胸、腹と腹に、距離らしいものは何もない。そうして始まったのは、先ほどの比ではない律動だった。何かを予感させる、激しく繰り返される衝動。思わずはルシフの身体にしがみついたけれど、覆い被さった白い毛皮は驚くほどに熱を籠もらせ、一瞬息を飲んだ。指先を埋め、白い毛の下の表皮を撫でると、硬い背筋がうねる。躍動し駆ける、獣のよう。

「……俺の、もの」

 不意に落とされる、陶然とした低い声。
 震えるの白い喉へ、牙を擁した口が開かれて近付いた。

「全部、俺のものだ。この髪も、首も、匂いも、全部」

 噛みつかれたの首に、ざりざりとした舌が這い、牙が押し当てられる。決して痛みはなく、くすぐったさが生まれる。ただの噛みつくふり、甘噛みだった。聞こえてくる音も、歓喜を示すようにゴロゴロと鳴っている。

「全部、俺だけの――――」

 宙に浮いた足の爪先から、這い上がるように尻尾が絡まってゆく。足首を包み、ふくらはぎを柔く締め付け、本能的に彼らの流儀で己の感情を伝えている。
 それは、恋情の告白ではなく、言うなれば劣情の暴露。想いを伝えるにしては、その手法は限りなく獣に近く、剥き出しの生々しさばかりが放たれている。女性の夢見る甘やかさは、何処にあるものか。
 穿つ速度と強さが増し、の身体の震えが深まる。何とか持ち上げた腕を、ルシフの背中から首に移し直し、ぎゅっと縋りつく。細身の外見のわりに意外とがっしりとした身体の彼は、首一つ取ってもやっぱり逞しかった。邪魔くさくがしがみついても、彼は苦もなく律動を続け、むしろの背中を片手で支える余裕すらある。男女差、さらには造りが根本から異なる種族差。
 もう以前から知っている、幼い頃から既にその片鱗を見せていたのだから。

 けれど、だからこそには。

「知ってる」

 吐息の混ざったの声に、微かな微笑みが混ざる。
 何て言うのだっけ、こういう時は。そうだ、確か。

「――――嬉しい」

 ああ、と。感極まり、蕩けたような息遣いが聞こえた。
 さらにぎゅうっとを胸に抱き込むと、白猫の動きが急いたように荒さを増す。吐き出す息と獣の鳴声が、甘く食らいつかれた喉からの思考を蝕む。
 余裕なく、果てを果てをと求めるその動きに、普段隠しがちなルシフの心を見た心地がした。

 いつかの薄汚い野良猫の少年から、誰が見ても美しいオッドアイの白猫の男性になった彼は、多分きっと何にも手を伸ばす事を許されているはずだろうに。綺麗な猫が欲しがったのは、よりにもよって逞しさが増した雑草だった。


 ――――全部、俺のものだ


 気まぐれに、時々直情的に、欲しい欲しいと喉を鳴らして。
 そういうところが、やっぱりずるい。
 そんな風にされたら、全部あげると言いたくなってしまうではないか。こんなもので良かったら、幾らでもどうぞと、殊勝にも。


 全身ですり寄り、の細い身体を揺すって快楽を追いかけた先で、ルシフが狭い胎内で果てる。心底気持ち良さそうに溜め息をつき、余韻に打ち震えるその姿を見上げるの背も、甘く震えた。