15(18禁)

 激しくうねり熱に染まった空気は、緩やかに凪いでいた。壁の一つを埋める本棚や書き物の途中の紙が散らばった、作業部屋のような風景の部屋に、甘く温かい余韻が心地よく漂う。
 その部屋の、片隅。追いやられるように置かれた藍色のベッドの上では、とルシフが外見の違う身体を寄せ合い、まどろみ横たわっていた。

 昇っていた昼間の太陽は、いつの間にか傾いていた。青かった空も茜色に染まり、部屋の床や天井を照らす光も暮れる色を孕んでいる。多分きっと、ほんの少しだけ眠っていたのだろうとは思う。
 を胸に抱えて横たわるルシフも、眠たそうにまどろんでいるけれど、の剥き出しの背中や腰のくびれ、金色の髪を撫でつける手のひらは意識がしっかりとしている事を表しているようだった。
 性的な予感はさせない、優しく温かい慰撫。が小さく笑いながら身じろぐと、白い腕がきゅっと力を込める。

「もう夕方……ご飯どうしよ……」
「色気がない……」

 呆れたように呟いたルシフの声も、少し笑っている。まだ後で良い、と背中を撫でられ、も頷いて白猫の喉に額を押し付ける。ぐりぐりと擦ると、途端に喉の音が奏でられた。
 擦れ違った果てに、ようやく互いの想いを交わし、身体を重ねたからか。余韻を響かす甘い穏やかさは、妙にくすぐったくて恥ずかしく、けれど倍以上に温かくて深い安心感が感じられる。

 その時、ふと、は何となく思い出した。
 少し前から抱いていた淡い夢。既に幼い頃から奉公に明け暮れ、思い出はほとんどないけれど早くに親を失った境遇であるからか。いつか家庭を持ちたいなと淡く思っていた。多くは望まず、好きな人と一緒に過ごして、一番可愛い時期の子どもを愛でまくって、ごく普通の日常がある幸せな家庭が欲しいと。
 何となく思い出して、そして少なくとも一部の夢は果たされていると、何となく気付いた。深い意味などなく、純粋にふわりと、は幸せな気分になった。

 あの市場で、ルシフではなく別の誰かに競り落とされていたら、絶対に得られなかったであろう幸福感。彼に拾われ、そして《此処》に居て欲しいと乞われ、どれほど恵まれているのか。それは、何となくではなく、はっきりと理解している。
 そう思ったら、やっぱり――――。

 は、ふっと微笑を引かせると、顔を離した。白い二本の腕による柔らかい拘束を受けたまま、そっと距離を取るように互いの胸と胸の間を空ける。どうした、と視線で追いかけてくるルシフのオッドアイをじっと見上げて。

「ねえルシフ、私やっぱり、3000セスタで買われた事……そんな簡単には忘れられないよ」

 瞬いたオッドアイが、何か言いたげに動いた。は一度其処で言葉を止めると、ルシフの腕からやんわりと抜け出て身体を起こす。鈍い重みがあちこちにずしりとのし掛かったけれど、それを堪えてベッドにちょこんと座った。の動作にならうように、ルシフも起き上がって向かい合って座る。
 先ほどまで身体を重ねていたので、どうにも直視するのは恥ずかしかったけれど、はきちんとルシフを見つめった。無言の白猫の顔には、恥じらいはないが不機嫌な色が浮かび、物言いたそうな気配があからさまに感じられた。
 は染まる頬を柔らかく緩め、ふるふると首を振る。ルシフが思っているような事じゃないよ、と告げながら。

「えっと、もちろんね、ルシフの側にこうして居られるのは嬉しいよ。家政婦とかじゃなくって、もっと普通に、ただの私として居られるのは」

 そう、嬉しいからこそ。

「ただの私として此処に居る為に、きちんとやり直したいなって」
「やり直す……?」

 不思議そうに、ルシフが首を傾ける。

「そう。今度こそ、ちゃんと3000セスタを返したいの」

 曖昧な言葉ではなく、はっきりとした言葉に乗せ、は伝える。
 3000セスタという金額を、きちんと返す。そうすれば、わだかまりの無くなった今がより鮮明に晴れるし、もルシフの側に心おきなく居られるというもの。
 一ヶ月前の当初から、一番が果たしたかった事はそれなのだ。あの時以上に、は真剣に向き合って考え、そしてルシフへ伝えた。
 その強い眼差しに、ルシフは黙する。しばらく無言の見つめ合いが続いたけれど、わりと早くにルシフは息を吐き出し「分かった」と頷いた。

「あんたがそうしたいなら、すれば良いよ」

 ルシフは肩を竦めていたけれど、仕方なさそうに笑う声は何処か嬉しそうだ。もぱっと表情を明るくさせると、ぽんっと両の手のひらを合わせた。

「本当? 良かった! あのね、私やっぱりお針子が性に合うから、その仕事を見つけて――――」

 勢い込んで言ったの唇に、ふわりとルシフの指先が押し当てられた。真っ白ですべすべな毛皮へと、言葉が吸い込まれる。

「分かってるから安心しな」

 ルシフはくつくつと笑みを噛んで、身を乗り出した。正面に座るしなやかな白猫の体躯が、距離を詰めてへと近づく。

「……ただ、せっかくこの格好でベッドの上だってのに、その話はまだ野暮過ぎる」

 細められたオッドアイが、の身体を見下ろす。まだ服は着ていなかったので、ルシフの眼下には香りを放つの裸体。しかも、身体を繋げてから長く経っていない、彼女の匂いと己の匂いが混ざる形容しがたい生々しい匂い。軽く吸い込むだけで、ルシフの頭の後ろが甘く痺れた。
 青と金のオッドアイに不意に熱が灯るのを、も気づいてあっと声を漏らす。押し当てられた白い指先に、薄く色づいた唇がなぞられ、くすぐったさが肩にまで響く。



 唇を撫でる指先は、頬へ滑り、首筋、そして丸い肩へと降りてゆく。
 ルシフの声に掠れた低い音が混じり、の耳へと滑り込んだ。ドキリと跳ねた身体に腕が回り、腰回りを撫でられる。

「もう一度」

 熱を取り戻した吐息と共に、白猫の顔が肩口へと押し込まれる。音を立てず距離を詰めた白猫に、は逆らう事無く、再びベッドへと共に倒れた。途端、くるりと向きが直され、仰向けからうつ伏せへと体勢が変えられる。くいっとの腰は持ち上げられ、肘と膝の折れた四つん這いにされていた。困惑しながら、は肩越しに振り返る。直ぐにルシフが背中へとのし掛かってきて、そっと腹を抱きすくめられた。

「わ……ッ」

 耳の裏を、ざりざりとした舌先がなぞる。縁をくすぐり、甘く食む。

「やっぱ獣人だからかな……こっちの方が、落ち着く」

 はあ、と吐き出す息の熱さに、目眩がする。背中から折り重なった白猫の身体は熱く、すべすべとした感触の中に欲望が内包されていた。
 その熱が伝染するように、同じようにも熱く染まる。震える膝を開かれ、秘所を解され、もう一度受け入れるべく女の身体が喜んで滴らせた。それを掬い取るように、剛直が下から撫でつけ、最初よりも柔く綻んだ入り口にひたりと触れる。
 お腹を抱えるように回った腕へと、は手のひらを重ねてそうっと掴む。
 それを合図にし、の内側へと再び入り込んだ。火傷みたいな熱さが、爪先にまで響いた。

「ッ! あ、あ……ッ!」

 ぐぐぐ、と背後から押し上げられる感覚に、苦悶が滲む。鈍く伝う衝撃にぺったりと伏せそうになったの身体は、ほとんどルシフの支えで持ち上げられていた。
 はくはくと下手な呼吸を繰り返した末、ようやくルシフの剛直がの中に収まる。折り重なったの背中とルシフの胸や、ぴたりと隙間無く触れた尻と下腹部が、酷く熱く、思考がぼやける。
 ルシフは直ぐに、律動を始めた。最初のような、馴染ませる為の単調な動きではなく、駆け足で快楽を追いかける激しさ。最奥まで一気に穿たれ、幾度も攻め立てる勢いは、ルシフが支えてくれなければは早々にべしゃりと倒れているところだ。

「んく、は、はァ……ッ!」

 上下に揺さぶる力強さに、不明瞭な声がこぼれる。自らの流れた金髪が、藍色の布地の上に垂れ振り乱れる。

「ッごめんな」

 の頭の天辺に、呟きが落ちる。ふっふっと、熱っぽく響くルシフの息遣いが、の耳を撫でていた。

「ッごめんな、ふッ、俺ばっかり」

 断続的な言葉の節々から、ルシフが快楽を噛みしているのだと、は朧気に思う。
 背後を振り替えれないのが、残念だ。きっと彼は今、とても色っぽい瞳をしているに違いない。空と花の色の、あの綺麗なオッドアイが、艶やかな光を放って、白猫の美貌を凄艶に彩って。

 と、とルシフの繋がった箇所に、ふと何かが這った。
 ルシフの指だ。

「ッ!? ひゃ、う……!」

 跳ね上がった自らの声に、は思わずびっくりして息を噛む。
 背面で、嬉しそうに笑った音が聞こえた気がした。
 律動がなお繰り返されている、広げられめくれた秘所の、少し上。膨れた花芯をルシフの指先が嬲る。

「今は、これで……はッ」
「やッそれ……あ、あ……ッ!」

 きゅう、と疼く痺れがお腹の奥に広がる。そうしてそれが、激しい律動も巻き込んで、さらに深くへ伸びてゆく。
 抱えられたの腰が、ルシフに強く引き寄せられる。それまでも十分に激しかったのに、さらに勢い込んで最奥を求められ、の膝が震える。

 どうなってしまうのかと、は微かな恐れを一瞬抱いた。けれど、蜂蜜色の金髪が流れ露わになったうなじを、牙を立てず甘く食む仕草に。震える太股へと、巻き付いてなぞり上げる長い尻尾に。何故だか大丈夫だと思えて、与えられる衝撃も甘受出来るのだから、不思議だ。

 二度目の果てが見え、ルシフはを背後からきつく抱え、背をしならせて呻く。甘く食まれた首筋から、ほとんど吐息の言葉が聞こえてくる。


 の好きなようにしていい。だからどうか、《此処》に。


 普段は涼しい面のくせに、こういう時に現れる、何処か子どもじみた本心。読めなくて気まぐれで、けれど決して情の薄くない不器用な猫らしくもあって。
 前から、知っている事だけれど。
 いつかの薄汚い野良猫も、垢抜けた美しい白猫も、そういう彼だから今こうして身を預けられる。子猫のように首筋をはむはむ甘噛みしているルシフへ、は熱に染まりながら淡く微笑む。


◆◇◆


 こじれた糸を解すように、とルシフの間にあったものが消えてようやく爪先が揃ってから、幾日。
 は、ようやく3000セスタの借りを返すべく仕事探しの一歩を踏み出そうとしていた。

 本当はあの日の翌日から直ぐにでも出掛けたかったのだけれど、まさかの事態が身に降りかかってしまって、遅い行動になってしまのだ。
 原因はではなく、ルシフにある。
 との距離が詰まり晴れて異性の男女の関係になったは良いが、これまでの我慢が決壊するほどに喜び勇んだ反動か……を毎晩、しっかりと抱き潰してくれるようになった。あの、何にも興味のなさそうな、涼しげな面をして、優雅な佇まいをして、《氷の商人》の異名に恥じない姿の、ルシフが、だ。
 どんなに綺麗な外見でも、雄は雄だった……。
 むしろ獣人という獣の血が色濃い種族ゆえか、本能に忠実で貪欲に求める様は、を羞恥心で殺しに掛かってきた。普段はあの涼しげな面持ちと佇まいであるのに、人の目が無くなる家では気が緩むのだろうか。
 は己の身をもって、幾日の間で理解する事となる。

 ルシフの言い分としては、せっかく好いた雌をようやく手に入れたのに何で早々に手放さなきゃならん。むしろこれでもまだ手加減してる、であった。(正直あれで手加減ってどうなってるのかと愕然とした)
 論外だったので、獣人のように頑丈な造りではない事をはこんこんと教えを説いた。ベッドの住人だったので、今一つ迫力には欠けていたけれど。

 ただ、ルシフ自身も受け入れた通りに、が3000セスタを返す事に関しては協力的だった。終始、俺は別に気にしていないけれど、とは言っていたけれど、使命感だけでなく楽しそうにお針子の仕事探しに向かおうとするを引き留めず背を押してくれた。


 それと、これはルシフには言っていないが、その時にはもう一度彼にあの青いストールを手渡そうとは思っていた。あの時は手渡すタイミングが最悪で、激昂された上に拒絶され受け取って貰えなかった。けれど、今度はきっと、彼も突き返す事はないだろう。お針子仕事も高賃金ではないので、どれほど時間が掛かるか分からないけれど、心に改めて気合いを充填して仕事探しに挑むである。


 そもそも街の中にどれほど衣料品店や工房があるのかも定かでないので、さすがに直ぐに見つからないだろう。まずは見て回るところから、と始めたの仕事探しは。

「噂で聞いたけど、お仕事探してるんだって? うちとかどう!」

 わりと直ぐに見つかった。
 ルシフが外で唯一遠慮無く話せる朋友、茶トラの猫獣人シズ。安定の衣料品店の店主である。本当に猫の噂とやらは、早すぎる。

 シズの店そのものは仕上げや最終調整を行い完成品を並べるところなのだが、別のところに小さいけれど工房があり、其処で服作りの大部分を行っているとか。其処とかどう、とはシズの言葉である。
 何度も迷惑をかけてしまった人なので、さすがのも気が引けた。これ以上は申し訳ないと断ろうとしたのだけれど、シズは「まあこっちも、本音と建て前が半々だけど」と笑ってその理由を語った。
 以前は、ルシフの為のストール製作でシズのもとで世話になったが、その時彼はの刺繍の腕を、実は気に入っていたらしい。刺繍縫いの仕事を頼む際、ものは試しにこっそりと数枚難易度の高いものも数枚混ぜてみたところ、そのまま全て仕上げていったを「これは」と思ったそうな。
 そんな事をされていたとは全く気付かず、今初めて聞かされた新事実であったけれど、それはともかく。
 人からは似合わないと笑われてきた趣味の刺繍が、思わぬところで評価を受けている。その事実に、は照れくさくも嬉しく思う。

「それに針子としても申し分ないし、他の店に行かれる前にうちで是非とも捕まえておきたいんだけど……どうかな」

 ルシフのシュッとした白猫の面もちとは反対に、親しみを抱かせるふくふくとしたシズのそれが、首を傾け笑う。そんな風に持ち上げられると、が強く出られるはずもなく、よろしくお願いしますと頭を下げるのであった。

 それにしても、意外とシズさんはしっかりとした経営者であり製作者であるらしい……。少しばかり驚くである。



 話が変わるが、シズと言えば。
 ルーアの件で浅からず巻き込んでしまい、大迷惑を掛けた人物でもある。
 後日、とルシフは揃って彼のもとへ謝罪に赴いた。お詫びの品(ルシフの目利き付きの菓子)を携え、感謝と謝罪の想いを告げ深々と頭を下げたのだけれど。
 シズから、思いも寄らぬ大爆笑を賜った。曰く、思い出し笑いらしい。

「あのルシフが、まさか自分で珈琲被るとか、思い切った事をしたもんだ。後から笑いがじわじわ来る――――」

 全てを言い切る前に、ルシフの高速猫パンチがシズの顔に炸裂した。迷惑掛けた人に何て事、とが慌てて止めたのは言うまでもない。
 ある意味渦中の人物でもある、人間の少女ルーアであるが。

「甘やかされて常識が抜けてたあいつには、良い薬だったろうよ。何でもかんでも我を通せば全て思い通りになるわけじゃないってな。宥めるのには時間が掛かったけど、いちゃもん付ける事もしないだろうし、気にするな」

 だけど、とシズの細い目がルシフを見た。

「一番気に掛けるべきところはルーアじゃない。同じ獣人としちゃあ、選んだ人を悲しませた上にかなり危ういところにまで追い込んだのは見逃せないぞ、ルシフ」
「……はい、今後はこのような事が無いよう肝に銘じます」

 ルシフも反論はせず、静かに頭を下げていた。

「……せっかく元の鞘に収まったんだ。今度はしっかりやんな」

 ふくふくした茶トラの猫に似合う、朗らかで気さくな人柄。けれど不思議と勝てなさそうな空気を感じるのは、やルシフよりも彼がずっと年上だからだろう。顔を見合わせて視線を交わすとルシフを、シズはうんうんと微笑ましそうに何度も頷いていた。何だかんだこの猫獣人は、良い人だ。




 ――――そんな事がありながら、現在。
 改めて爪先の位置を整え、3000セスタ返済の道を歩む生活が始まった。けれど決してに苦痛はなく、むしろ以前よりも一段と、居心地がよく満ち足りた気分にさせる日々であった。
 やっぱり長らく続けてきたお針子仕事は馴染み深いものだし、趣味の刺繍にも力が入るし、ルシフと過ごす生活もわだかまりが消えますます温かいし。
 愛しい日常って、こういう事を言うんだろうなあ。
 遙か昔に忘れて無くなったものが其処にあるのだと、は何度も深まるばかりの幸福感を噛みしめた。

 3000セスタを返したら、そしたら、私は。

 それを目指し、は堅実に働く。
 念願の日が彼女のもとに訪れたのは、それから月を幾つか跨いだ後であった――――。